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声優?? [アニメ系]

声優に関心を持ってから、辞めるまで

94年1月・・・・あるゲームソフトで椎名へきるが掲載。京都の映画村で知り合いと話し合う。イベントもあったようだが参加券はゲットできず。

94年11月・・・國府田マリ子のイベントに行く。同日東京(内田有紀)の予定だった。
95年4月・・・椎名へきるのライブに行く。

この辺りまでは、声優といえども、そんなにのめりこんではいなかったが、当時の音楽事情が、男性歌手のオンパレード状態だった。オリコンにAMラジオに何もかも、音楽に纏わる番組は、男性歌手ばっかりだった。例外が無いとはいえないが、「新潟放送」「ラジオ福島」「静岡放送」「岐阜放送」の4つでは、それなりに女性歌手をターゲットとしてきた(というよりは、女性歌手を迎えての公開録音が多かった)が、オリコンなど、ミュージック情報誌では、女性歌手の占める割合がゼロに近かった。「もう、演歌を除いて女性が歌を歌うことは無くなる」。とも考えました。それなら、音楽になんか興味を持たず、競輪や競艇でもやろか、と思った最中、「声優」というジャンルがあることに気づいた。

この時、声優関係については、オリコンでは印象が薄かったものの、男性シェアが非常に高く私は声優ファンに転向した。
つまり、声優だけが唯一、男性が取り付けるジャンルだったからです。

関西で声優となると、どーしても「青春ラジメニア」がありますが、私は、こっちのリスナーには成りませんでした。ま、たまーーに聞く事は有りましたが、公開録音やイベントが近そうな時ぐらい。と、いうのは、当時私は音楽ジャンルでは声優に関心があったが、青春ラジメニアについては、アンチテーゼがあった。しかし、公開録音は行きたいというものでした。

また、脱線するが、ある深夜ラジオ番組は、リスナーの数こそ増えたけど、女性の方が増えているという事になった。私は
「○○(番組名)に女性リスナーが増えた事が嫌で、青春ラジメニアに転向するという事は許せない。愛天使○○○はとってもとってもご機嫌斜めだわ」という状態でした。私の好きそうなアニメ分かりますか??

特に、95年9月以降、約5年に渡って声優中心の活動してたにょ。とはいえ、同時期に岐阜県(公開録音会場は同県大垣市)のタマコシショッピングセンター(初参加は94年11月)もあり、ツルタマと声優という2つの草鞋を履く事ができました。



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